Thursday, April 5, 2018

音楽の起源、ただし構造的な

ベルクソン『時間と自由』(中村文郎訳)より。
他人の会話を聞いていると、自分も唇を動かさずにはいられない或る種の精神病者たちがいるが、これは誰にしも起こることを誇張しているだけなのである。もし聞いた音を私たちが内心で繰り返し、そうすることで音がそこから出てきた心的状態へ、つまり言葉では言い表せないが、身体全体がとる運動によって暗示される原初の状態へ自分を移し直しているのだということを認めないとしたら、音楽の表現的な、あるいはむしろ暗示的な能力をどうして理解できるだろうか。
音楽の起源に関する考察。
起源といっても、史的起源というより構造的起源。そのプリミティブなスケッチ。

ベルクソンは身体の仕組みや状態と結びつけて、人間の心的状態を考える。
これに続く箇所では、音程がなぜ高低の違いとして認識されるかを、人間の声の出し方から説明している。人間は声を出すとき、肺(すなわち低い位置にある器官)から、口や鼻(高い位置にある器官)に向けて息を押し出すが、高い声になるほどの高位の器官の負担が大きくなるからである、と。